投石、築いそ事業調査−1


私が、地元の逗子の海底牧場の話を始めて聞いたのは、平成7年3月、当時の逗子の小坪漁業協同組合長 平井保徳氏より偶然に伺ったた話から始まる。
その時、私は逗子市制40周年の記念事業に携わっていました。市民が主体となったこの記念事業の一つ、逗子再発見事業として逗子海岸の右隅に建つ記念碑『不如帰』の調査を行ったことがきっかけでした。
その調査で判明した事を上げると

1)この碑は江戸城の城壁に用いられる為に、伊豆の真鶴より切り出された安山岩である。
2)輸送中に小坪の大崎沖でなんらかの理由で座礁して磯の上に長年置き去りになれていた。当時は鍋島藩が切り出した石と言う事で通称『鍋島石』と呼ばれていた、
3)その石を昭和8年町制20周年の記念事業として徳富盧花の逗子を舞台にした代表作の『不如帰』と掘られた記念碑として利用された。
4)ほかにも同じような石が大崎沖に沈んでいた。

それらの石が、あわびやトコブシ良い漁場になっていたため、その場所の位置は口外できないとのことであったが、特別に石の調査の目的ということでボランティアダイバーの協力で調査の許可を得た。

5)そこに沈んでいた真鶴石には、加賀藩の刻印が刻まれていたのを発見した。

6)地元の海底の石は砂岩が多い中、この真鶴の安山岩の周りがすばらしい海底牧場になっていた。

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